うるしの実のみのる国 上
これから米沢観光を考えている人へ、あるいは、一進一退を繰り返している人へ
今日はしきりに古弾正さま(三代上杉定勝)が顔の見ぐるしい男を召使われた故事が思い出されておった」
見ぐるしい男の故事というのは、定勝が召使っている家臣に、表情がひとに不快感をあたえるほどに愁い顔の男がいて、近習の一人がああいう見ぐるしい男は隠居でもさせたらいかがかと進言した。ところが定勝はその者を強く叱って、人を故なく捨てるべからず、愁い顔なら憂いの場合の使者にでも使えばよいと言ったことを指している。
【私的概略】
徳川時代中期、米沢藩(山形県)の窮乏を救った名君、上杉鷹山のはなし。
米沢藩は上杉謙信で有名な上杉家が藩主です。豊臣秀吉の死後、徳川家康と対立し、領地を4分の1に減らされます。その後も、藩主の急死や、浪費家の藩主が続いたことで藩の借金が急速に膨らみ、藩の収入全てを何年返済にあてても返済しきれないところに来ていました。財政を立て直そうにも、ちょっと倹約したくらいでは焼石に水。妙案は誰にも思い付かず、政権担当者は無力感に苛まれます。「とても藩を運営できないので領地を幕府に返上したい」と打診するところまで来ていました。
藩主上杉重定の側近、森による独裁政治を憎む竹俣当綱は、米沢藩の再建を願う家臣です。同じように森の支配を憎む藩の重臣たちと連携して、森を討ちました。森がいなくなって明らかになったのは、藩の疲弊の原因は、森だけのせいではない、ということ。政治に無関心な藩主上杉重定を一刻も早く隠居させ、養子の上杉治憲(後の上杉鷹山)を藩主に迎えて藩政改革を断行しようと考えます。
保守的な格式にこだわり改革を厭う重臣たちと、貧乏に狎れて上杉謙信以来の誇りを捨てた下級武士たち。聡明な治憲だけを未来の希望に、改革を願う家臣たちは、長く苦しい闘いに踏み込みました。
上下二巻の上巻です。
【感想】
上巻の主役は、上杉鷹山を支えた家来、竹俣当綱です。強い行動力で改革の障壁になる人物たちを抑え、鷹山を藩主に迎えるための道をつけていきます。
本書の特徴は、他の上杉鷹山関連の書籍とは異なり、鷹山への過剰な礼賛一辺倒ではないところです。この本の連載が始まったのは1990年代。バブル経済崩壊後の再建機運に乗って、「上杉鷹山の改革に学べ」式の本や番組が濫造されました。その多くは、単なる言い伝えを誇張したり、史実の検証があいまいなままで、「これは本当にあったこと」であるかのように喧伝した内容でした。作者の藤沢氏はこの流れに反発したのだという見方を、下巻の解説者はしておられますが、まさにその通りかもしれません。
たとえば、米沢藩の財政難は、浪費家の藩主が続いたことが原因とされますが、必ずしも浪費とは言い切れなかった側面や、元禄時代の貨幣経済の発達が、米を主要な収入源とする古い藩財政を直撃したことなど、「誰かのせい、とか単純な話じゃないのよ」的な、主たる原因を引き起こした時代背景との連動を、堅苦しくなく話に挿し込んでます。
時代背景との連動と言えば、他にも、有名な「七家騒動」。頑迷な守旧派家臣が、改革を進める上杉鷹山に反発し、藩主引退を強要した事件です。現代から見た江戸時代のイメージで、この事件を見れば「主君に逆らうとは重大な不法行為」。しかも、現代の感覚でこの事件を見れば「頭の固い連中が、改革という正しい行いを阻止しようとした愚行」です。現代からも江戸時代(のイメージ)からも、悪い行為に見えます。が、実は少なくとも江戸時代的には、あながち間違った行為ではなかったようで、本書のなかで守旧派の家臣が徳川幕府の判断基準について言ったセリフ「しかるに近年はそうではなく、主君といえども藩の秩序を乱すことはゆるされぬというふうに変わってきておる。殿さまの権威よりもお家が大事と変わったと申してもよかろう。」にある通り、守旧派家臣にしてみれば、上杉鷹山こそ、藩の秩序を乱す危うい藩主と映ったのです。
ここまで書いてて思い付きましたが、この本は、時代背景との連動がしっかりしているのです。上杉鷹山をミラクルな政治家と評する話は、どこまで信じたものか分からなくなっていたので、この本は新鮮です。
【私的評価】
電車の中で気軽に読めるか…4/5点(まぁ、軽く読めます)
読後に何かが残った感じがするか…4/5点(鷹山改革の真相に近付けた)
繰り返し読めるか…3/5点(間を空ければ)
総合…4/5点(小難しいのを全く受け付けない人にとっては3点)
【関連書籍】
人物叢書 上杉鷹山