親鸞(二)
いつも他力本願な人へ、あるいは、法然のことをよく知らない人全般へ
人により、信心に異があると観るのは、自力の信心のことをいうのじゃ。智慧とか、身分とか、男女の差とか、そういうものを根本にして考えるから、信心もまた、智慧、境遇などに依って、差のあるもののように考えられてくる。−しかし、念仏門の他力の信心というものは、善悪の凡夫、みな等しく、仏のかたより給わる信心であって、みずからの智慧や境遇の力に依ってつかみとる信心ではないのでござる。
【私的概略】
浄土真宗の始祖、親鸞の生涯を綴った物語です。吉川英治の初期の作品で、発表当時、菊池寛が「この時代の中に親鸞を捉えるという大手腕は、この著者をおいては考えられない」と絶賛した作品です。全三巻のうちの、第二巻。
親鸞は、各所で修行を修め、この世を救おうと決意しました。その矢先、九条関白の娘、玉日姫とふとしたきっかけで出会い、彼女を想う心に苦しみます。当時、僧侶が妻帯することは厳しく禁じられ、それに違反した者は僧侶としての身分を剥奪され、世間からも厳しく軽蔑されていました。
玉日姫への想い=煩悩と思い悩む親鸞。さらに厳しく自分を修行に追いつめますが、玉日姫への想いは断ち切れません。
彼のことを嫉妬する山伏の弁円、盗賊の天城四郎は、親鸞の煩悩を知り、スキャンダルに仕立てて親鸞を失脚させようとたくらみます。
迷いが無くならない親鸞は、法然(親鸞の生涯の師匠、浄土宗の祖)に出会いました。
この出会いによって、親鸞の思想が変わります。通常人の為しがたい修行と禁欲的な生活(という建前)によって自力救済の道をさぐる、これまでの仏教スタイルから、法然の提唱する絶対他力の教えに改め、親鸞にとって大きな転機を迎えたのです。
この親鸞の転機は、自力救済を信奉する比叡山等の反発を招きます。
玉日姫とのことをスキャンダルとして煽る者たちとも合流し、親鸞のみならず、法然たち念仏衆や、姫の一族たちに暗雲となってのしかかっていきます。
【感想】
親鸞の念仏の師匠、法然が登場し、浄土真宗の教えがあらわれてきました(と言っても、私も浄土真宗をよく知ってるわけではないのですけど)。
またしても、少し迂遠な話を以て感想に代えますと、
司馬遼太郎氏の小説に、一向一揆(親鸞の末裔が、織田信長に抵抗して起こした戦い)がよく登場します。
どの本だったか忘れましたが、一向宗の僧侶が「お主が嫌じゃ嫌じゃと言っても、仏様はお主を救って下さる」「念仏は、救って下さる仏様に対する、ありがたいという気持ちであって、決して、念仏を言わなければ救われない、というものではない」というような趣旨のことを言っていました。
なるほど、なるほどね〜。と思いながら綺麗サッパリ忘れていたのですが、この巻に登場する法然の思想も、なんとなく同じ感じがしました。
全ての人間を救うことが仏様の願いなので、僧侶のような修行をしていなくても、生き物を殺すことが仕事である猟師や漁師も、もちろん救われるというのがこの教えの根底です(多分)。それまでの仏教が僧侶や高貴な人々だけのものであったのに対し、一般民衆に広がっていくきっかけになりました。
この本では、その辺りの教えや、民衆に広がっていく様子が伝わってきます。小難しい話は抜きで親鸞の教えの雰囲気を知りたい、私のような人には、向いている内容だと思います。
【私的評価】
電車の中で気軽に読めるか…5/5点
読後に何かが残った感じがするか…4/5点(親鸞の教えの、雰囲気的なものが)
繰り返し読めるか…3/5点(間を置けば、また読めるでしょう)
総合…3/5点(親鸞の教えの雰囲気が分かります)