箱根の坂(上)

世の中に行き詰まりを感じている人へ、あるいは、遅咲きしたい人へ

まったくこの新九郎は得体が知れない。
貴人かと思えば、鞍作りの番匠である。それも、召使いひとりもたず、農家の名子(農奴)のような小屋に住み、褐染のすりきれた麻の職人の姿をし、物の煮たきまでしている。
しかし、その煮たきしたものの味のよさはどうであろう。よほど幾世も舌の鍛錬した家の者でなければ、こういう味は出せない。


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【私的概略】
 応仁の乱の終わりから、戦国時代の幕開けに至る時代。
 後に、北条早雲と呼ばれる人物が、戦国大名へと渋く成り上がっていくお話、上中下三巻の上巻。


 足利幕府内の名門、伊勢氏の一門である伊勢新九郎(後の北条早雲)は、名門らしく高い教養を持ち、それと同時に寡黙な職人肌でもあるという、妙な取り合わせの人物です。寡黙な心の中で常に、貴族化した幕府支配層の政治的無能に憤っていますが、自身には何の政治力も無く、鬱屈した思いを抱えて日々を送っています。
 しかし、応仁の乱で出現した「足軽」という新戦力の出現に、新九郎は新時代の息吹を感じ始めます。



【感想】
 ストーリーを簡略に把握すれば、成り上がり者の話のはずです。しかし、どうも違う。
 伊勢新九郎は、名門伊勢氏の一門ですが、一門の中での立場は低く、領地も無く、家来も無く、住まいも粗末な番匠小屋です。そこで馬の鞍を作るのが、彼の仕事の1つです。それが、最終的には相模(今の神奈川県)一円を支配して、戦国大名のトップバッターになるわけですから。まぁ、成り上がりのはずです。
 単純な成り上がり話と違うのは、主役の伊勢新九郎のせいです。とにかく渋い。地味ですらある。そして、高い能力を持っているけれど、それを意図的に押し殺して、支配者の無能に耐えている。イメージカラーが焦げ茶色というか、華々しさに欠ける色合いの人物です。


 お話がスタートした時点で、主役が既に30代半ば、というのも桁外れです。いわば、下積みといっても随分長いじゃないか、と思うのが自然なところ。大作家、海音寺潮五郎氏も早雲の若い頃を想像して「応仁の乱に際して、早雲ほどの人物なら何か手柄の1つも挙げたのではないかと思うが、そういう形跡も無い。運が悪かったのか、あるいは、何の権力も無い身分では、さすがの早雲も手出しできなかったのか」と言っています。


 このお話のもう1つの特徴は、「この時代の歴史的意義」です。
 戦国時代の幕開けはまだ先の話。門閥主義の時代が続き、応仁の乱の頃も実力主義にはほど遠いものでした。伊勢新九郎といえども、鬱屈をためるばかりなわけです。そして、身分の高い支配者層も、遊興にあけくれ、民は疲弊を省みません。
 しかし、応仁の乱以後、政治をしない支配者層の下で、地方地方をまとめる新興武士が現れてきます。彼らは自分の権力を強めるために民を富ませ、治安を強化して、後の戦国大名の始まりになっていきます。さらに、戦争が続く中で、足軽という新戦力が登場し、新興武士でも先見の明のある者は、彼らを軍隊の主力として編成し、戦術を大規模かつ組織的なものに変革させる者も現れました。
 この巻では、応仁の乱や、足軽が、歴史的にどういう経緯で発生したのか、ストーリーを追っていくうちに自然に理解できるのも特徴です。
 (もちろん、作者たる司馬遼太郎氏の歴史観なので、それをそのまま学術的なものとすることはできませんが。)


 伊勢新九郎も、足軽の出現を見て、身分の低い人たちが実力を蓄え、幕府支配層の立場が危ういことを感じ始めます。幕府支配層として登場するのは、上司にしたくないタイプの人ばかり。この後、どのように彼らがひっくり返るのか、そういうネガティブな期待も見逃せません。
 中巻に期待しようじゃないか、といったところです。



【私的評価】
電車の中で気軽に読めるか…5/5点
読後に何かが残った感じがするか…3/5点(時代の変遷は分かった)
繰り返し読めるか…4/5点(間を空ければ読める)
総合…4/5点


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