歴史と視点 私の雑記帖

戦車が大好きな人へ、あるいは、司馬遼太郎作品を未読の人へ

  • ISBN(13桁)/9784101152264
  • 作者/司馬遼太郎
  • 私的分類/エッセイ(歴史)・史実を知る
  • 作中の好きなセリフ/

近代における政権に近いひとびとの愛国心の歴史は、自分と国家と同一のものだと考える時代が明治期いっぱいでおわり、あとは高級軍人たちが自分の官僚組織の単位と感覚でとらえるようになって愛国心としての実体をうしなった。参謀本部という”愛国心専売官僚組織”が事実上の開戦のボタンを押したことはまちがいないが、その”組織”としてでなく個々の高級軍人として、かれらが自分の胸に手をあてて本当に日本が勝てるとおもっただろうか。勝てると思ったとすればそれは軍事専門家でもなんでもなく、素人か、それともキチガイか、そのどちらかにちがいない。


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【私的概略】
 司馬遼太郎氏のエッセイ集。自分の軍隊時代の話や、歴史書に登場する無名だけど興味深い人生を歩んだ人物の話、など、司馬氏の歴史観や嗜好が、濃厚に伝わってくる一冊です。

1.大正生れの「故老」
2.戦車・この憂鬱な乗物
3.戦車の壁の中で
4.石鳥居の垢
 旧日本陸軍の兵士が戦争終了後28年間たってようやく熱帯雨林から日本に帰還したという事件から、自分の軍隊時代、戦車兵だった頃の話へ、恨み節を込めて筆を進めて行きます。
5.豊後の尼御前
 戦国時代、大友氏の配下で、女性でありながら島津軍との戦いを指揮する羽目になった人の話。
6.見廻組のこと
 幕末、新撰組と並んで京都の治安維持にあたったと言われている組織の話。坂本龍馬を討ったのは見廻組であるとも考えられていて、このエッセイでも、その話がメインになります。
7.黒鍬者
 江原素六は幕末、徳川方の秀才です。「黒鍬」という最下級の御家人出身で、苦労を重ねながら累進していきました。
8.長州人の山の神
 白井小助は、吉田松陰の同窓です。明治維新が成立した後、生き残った吉田松陰の門下生はことごとく栄爵に就きましたが、彼らのおごりを厳しく(大いに皮肉を込めて)いましめたという話です。
9.権力の神聖装飾
 天皇や皇帝が神聖なのはどうしてか、神聖に見えるように工夫しているからである。という話。
10.人間が神になる話
 戦後、天皇人間宣言をして、天皇は神様ではないと表明しましたが、そんなことワザワザしなくても、戦前から、天皇が神様だなどとは思っていなかった、という話。



【感想】
 この本の特徴は、やはり最初の4つ、司馬氏の戦車兵時代の回想です。
 司馬氏らしい、どこか達観したような観点からの恨み節(恨み、というほど強いものではなく、恨み「節」なのです)を味わえたり、「組織が末期に陥った時に発生する症状とは」というようなものを考えさせてくれる内容です。司馬氏の作品の中でも、私としては上位に押したい作品です。


 大戦末期、新しく配された戦車の砲身を、司馬氏が試しに鉄ヤスリで削ってみたところ、あっさり砲身を削ることができてしまった、という話は、本作品全体を象徴する場面です。
 司馬氏によると、戦車というのは極めて合理的なもので、そこに精神力だの気合だのの入る余地がありません。敵戦車への攻撃力は、砲身の長さ(砲弾のスピード)に比例し、戦車の防御力は、装甲の厚さに比例する。そして、砲身の長さも装甲の厚さも、投入する資源の多寡に比例する、とのお話。


(私は戦車とか興味が薄いので、司馬氏の話をそのまま飲み込みますと、)
 そういう意味では、戦車の砲身は鉄ヤスリでは削ることができないのが当然で、軟弱な装甲の戦車で戦えば、努力も訓練も関係なく必ず敗れるのが戦車の戦いなわけで、こんな戦車なら作らない方がマシなのだそうですナ。
 柔らかい戦車を作って「戦車」の頭数を揃えて「対策をうった」と思い込むのは、(現場を抽象的にしか把握しない)官僚根性特有の悪癖である、と。戦争指導部が戦争のプロならば、「柔らかい戦車で勝てるのか。それで負けたら日本はどうなるのか」胸に手を当てて考えて、こんな「戦車」を作るはずがない、というワケです。


 『こういう戦車を作った戦争指導部というものは、いったい、本当の愛国心を持っているのだろうかと、心の冷える思いがした』
 「本当の愛国心」。良いですね。司馬遼太郎らしい、絶妙のタイミングで、良いフレーズが入っています。上に書いたようなことが、このフレーズに全て込められていますね。
 そして、「愛国心」に今もトラウマが残る私たちですが、本作品からうかがえる「本当の愛国心」とは、単なる「政府に従順なイエスマン」ではなく、「自己と国とを同一のものである」と捉える心、とすれば、皆さん大筋で「愛国心」に合意できるのではないでしょうか?
 「国のこと(=自分のこと)だから投票率も上がる」同じく「自分のことだから、国に無理な要求をしない」同じく「自分のことだから、議員や官僚、その他関連団体の動向を注視する」。うむ、なかなか具合が良いですね。


 最後に、司馬氏の戦争観そのものについてですが、
 戦争は、色んな立場の人が被害を受けて、(負けたのだから当然)それぞれの人が、色んな方向に向かって、不満や怒りを持っているはずです。司馬氏の恨み節が、当時の日本の欠陥を客観的に言い当てているのか否かは分かりません。司馬史観に反対する人もいますし、正直、どっちが正しいのかよく分からないです。
 ただ、「こんなアラームスイッチもあるのだ」という意識は必要かと、思いました。


 例えば、司馬氏の恨み節は、サラリーマン的に「自分の会社の「マズい側面」を類推する材料にはなるな」と思います。会社も組織なので、硬直化しているなら、同じような事象が発生するはずです。
「本当に勝てると思って戦争を指導したのか」=「本当に売上げが伸びると思って、このプロジェクトをやってるの?」とか
「柔らかい戦車じゃ勝てませんよ、と本当のことを言ば、官僚組織内での出世の道が閉ざされる」= 「社長がコワいから黙ってるけど、あのシステム導入は間違ってるよね。言っても無駄だけど」とか
「そもそも国力の無い日本に戦車はゼイタク品で、外国の戦車能力のバージョンアップを追いかけるのは悲劇的なくらい困難だった」=「予算が少なくて、保守期限が切れてるのに更改できないシステムがいっぱいあるね」とか
 あ〜、、、イヤになってきた。。。



【私的評価】
電車の中で気軽に読めるか…5/5点(本の厚さも電車で開くのにちょうど良い)
読後に何かが残った感じがするか…5/5点(自分が属する組織を見る目が)
繰り返し読めるか…4/5点(時間を空ければ読めます)
総合…4/5点(印象に残ったのは最初の3つ)


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